|
第2羽「きっかけは“ぬくもり”」
5月といえば…黄金連休、山ホトトギス初鰹?でしょうか。
私の5月は、今でこそ東京バードフェスティバルやバードウィークのイベントで忙しいのですが、独身の頃はなんと言っても「オークス・ダービー」一色でした。
楽しいフリーター生活の中、はずみで就職試験に行った東京競馬場の広い空に惚れこんで、がぜん試験を頑張ったら採用されてしまいました。配属されたところは厩舎の窓口にあたる業務課です。
競走馬・馬主・勝負服の登録・抹消や、競馬の時は開催の中核となる検量室勤務で、いつも活気がありました。女性職員ただ一人の部署だったので大事にされつつも、それはそれは鍛えられました。勝負で殺気だっている調教師や騎手にモノをいわねばならぬことも度々、場内放送もやっていたので、クソ度胸はここで身についたと思います。よく泣きもしましたが、私は心底、競馬の世界を愛していたので、やめたいと思ったことはありませんでした。
その根っこには、職員になって最初の昭和51年のダービーの強烈な印象があります。その日は朝からスタンド地下に検量室は異様な雰囲気で、ド素人の私でも「特別な日」ということは理解できました。
これ以上ないくらい張り詰めた空気、粛々とレースが続く中、ダービー騎乗の騎手はみな殺気立っています。郷原洋行・中島啓之・小島太・武邦彦・福永洋一…30年前の競馬ファンには胸にぐっとくる”職人”揃いの騎手の中で、ひときわ目立ったのは、闘将と呼ばれた加賀武見でした。他の大きいレースはいくら勝てても、ダービーは勝てないと言われていた騎手です。ましてこの年のダービーは、若い池上騎手の乗る「天馬・トウショウボーイ」一色で、もちろん一番人気。2番人気は「貴公子・テンポイント」加賀騎手の乗るクライムカイザーは伏兵扱いでした。
でも競馬に絶対は無いのですね。27頭出走し、勝ったのは4番人気のクライムカイザーだったのです。天馬は2着。ともに顔面蒼白で引き上げてきた二人の騎手、走り回る関係者…検量室のまわりは騒然となっています。スタンドのファンの声もうねりとなって聞こえてきて、今まで立ったことの無い空間に私はいました。ふと気づくと表彰式を終えた加賀騎手の勝負服が、私の手の中にありました。ダービー馬の勝負服・鞭・ヘルメットは当時馬事文化財団に永久保存されたのです。10万観衆の中を駆け抜けてきた勝負服の温もりを、私は未だに忘れることができません。
何だか競馬ってスゴイなぁ…いいもんだなぁ…としみじみ思い、その日からがむしゃらに競馬に突き進んで行きました。歴史も、血統も、レースそのものも、厩舎の人たちも、熱く濃く「競馬はドラマ」の裏側にどっぷりの毎日をすごしていました。
そんな中「バードカービング」と出会い、これがバードウオッチングへ踏み出すきかっけになりました。
仕事も慣れて数年目、クリスマスもお正月も「超ヒマ」な年。何か作ってみようかなぁと立ち寄った東急ハンズでバードカービングのキッドを見つけました。ごく初期のもので「カワセミ」「モズ」と「カワラヒワ」の3種があったように思います。鳥の知識はゼロ、しかもこの時期、一人くすぶっていて楽しいわけもなく…地味ぃ〜な「カワラヒワ」をチョイス。「みたことも無い」鳥の事を思いながら悪戦苦闘、年をまたいで3週間で何とか鳥っぽく削り上げました。
でも「みたことも無い」鳥を塗る勇気はなく「カワラヒワってどこにいますか?」と日本野鳥の会の本部に問い合わせてみました。私のいる環境から「仕事場やおうちの周りにどこでもいますよ」とのお答え。「え〜〜〜どこにいるんですかぁ?」と頭に「?」がいっぱい。東京競馬場には芝コースもケヤキの大木の並木もあり、近所には大国魂神社や多摩川がある、今でも絶好の探鳥ポイントですが、その頃はただびっくり。厩舎担当の職員のオジサマたちに「いる?」って聞いてみたら「お嬢、そんなもんブンブン飛んでるよぉ、ヒワだべ?ヒワ」。あらら…それから双眼鏡を買い、競馬場内を観てあるき、それでも分からないので、東京支部の探鳥会に出まくりと私の当面の目標は「カワラヒワ」一点張りになりました。のんびりしたお正月からスタートしたのに急に忙しくなったのです。
その年のオークス・ダービーも無事終わり、6月になってやっと記念すべき「カワラヒワ」に出会うことができました。真剣に鳥を観始めて68種目の野鳥でした。
その頃、厩舎のケヤキの下に変な鳥が落ちていたからと「業務のお嬢が鳥が好きだっつうんで持って来たやった」事件がありました。持ってきてもらっても、私は何としようもありません…図鑑で調べてみると「ミゾゴイ」のようです。拾われたほうも、届けられたほうももう必死。撒き散らすフンに手を焼きながら、何とか段ボール箱に収まっていただき、荷台の上でガサゴソ暴れまくる音を背に、暴走族並の漕ぎ方で自転車を飛ばし多摩川是政橋を渡り、大丸の堰へ。ふたをあけ、抵抗するミゾゴイを抱き上げそっとおろすと、「ああ、ヤレヤレ」といった風情でさっさと逃げていきました。
今ならね、ミゾゴイが東京にいただけでも騒ぎだってわかるし、絶対川には放さないと思うけれど…何っていっても超ビギナーで。ただあのときのミゾゴイの必死の形相。私以上に怖かったんだと思います。箱から出した時のあのミゾゴイのぬくもりも忘れられません。
私の中で競馬会をやめるのはかなり勇気がいりました。でも忙しいときは朝5時から夜11までの仕事が日々続く中では、せっかく結婚しても“カサカサ”な毎日になりそうで、欲張りなのに、この時ばかりは二兎を追うのをやめました。
小さい頃は自分の手で…と二人の息子を育てるうちに、競馬熱は静かに冷めつつあり、競馬場辺りでもみられたミゾゴイが絶滅の危機に瀕しているデータに胸を痛めながら、時の流れを感じています。
競馬や鳥と「ネット」全盛時代の今、出会っていたら、これほど夢中にならなかったかもしれません。空気や音やぬくもりを通して心に沁みたものだから、一生懸命になれたのだと思います。そして競馬に絶対はないように、人生にも、日々の積み重ねにも「絶対はないのよねぇ」とちょっと枯れてきました。
さてこの頃のマイブームと言えば着物ときよしくん…このお話はまたゆっくりと…
みなさまの「一生懸命」なものへのきっかけは何ですか?
その物語には、どんなぬくもりがありましたか?
|