第13羽 「店閉店で考えた“もったいない”のホントの意味」


昭和16年3月、善福寺池坂上に「谷口調髪所」が開業しました。経済統制の最中で、新規開店は不可能、既存の店を買うしかなく、それ以前は「市川理髪店」という名で開業していたところを、居抜きで買ったものです。当時は回りに何もなく、畑と雑木林の中に転々とお屋敷が立つ、のどかな光景だったといいます。
谷口調髪所は名門「荘司」仕込みのマスターの技術が評判を呼び、繁盛。ご近所の皆様や、各界の方々に可愛がられたものの、建物の老朽化もあり、2代目店主がこの3月4日に66年の歴史に幕を閉じました。

その2代目店主が高司です。

野鳥イラストレーターにして理容師、という二足のワラジを履き続けて来たのですが、建物以上に高司の老朽化も進み、一つ道を究めたい、ということもあり、今回の判断に至りました。66年続いた店を閉めるというのはそれなりに覚悟は要ったと思いますが、決めてからは揺ぎなく、お客様お一人お一人にお話させて頂き、閉店後は粛々と後片付けに専念しています。
マスターだった父親の意思を尊重し跡をついだわけですが「大学を出てまで何で床屋をしているんですか?」とか「弟さんは大学教授でお兄さんは床屋ですか?」と言われることも多く、本人はかなり切ない思いをしたこともあったようです。

父と高司の歴史を刻んだ店のことを、今回は書かせていただこうと思います。初代日本野鳥の会会長だった中西悟堂からもご贔屓いただいた「谷口調髪所」は父・司郎の「荘司」入店から始まりました。

司郎は幼少時たいへん苦労をした人と聞いています。
芝白金で生まれ、本郷菊坂あたりで大きくなり、家が貧しかったため、母と目の不自由な姉の暮らしを支えるべく、いろいろな職業の丁稚奉公をしたそうです。数件の洋服仕立て屋やビリヤード屋、などその数は12ヶ所。12ヶ所目が東京駅構内に開業していた、超セレブな理容店「荘司」でした。
戦前、大阪から蒸気機関車で東京に着くと、煤で汚れた体をシャワーで流し風呂に浸かって、髪を整え、髭をあたり終るころには、煤に汚れたワイシャツがきれいにクリーニングされて、旅人は真っ白なワイシャツを着、しゃきっとした姿でそれぞれの街へでかけていったそうです。

天皇以外の皇族、軍人、政治家や文化人の利用も多かったというその店で、理容の修行の一歩をはじめた司郎は、床を掃除したり、タオルを洗ったり、シャンプーをしたりの下働き。「ポマード」という整髪料は、今ではほとんど忘れられた存在になっていますし、皆様の記憶にもしあれば、それは綺麗なビンに詰まった整髪料メーカーものでしょう。でも、司郎の時代は、ひまし油に木蝋と香料を練り混ぜる、各店独自の調合で作られていたとのことで、その混ぜる作業が、小僧と呼ばれる身にはとてもきつかったそうです。
でも父はバードウオッチングならぬマンウオッチングの好きな人で、いろいろな方と接することのできる理容業は楽しくもあったようです。

東京駅の「荘司」は、浜口雄幸氏や、藤山愛一郎氏の父の藤山雷太氏、今をときめく?鳩山兄弟の祖父・鳩山一郎氏という、その時代の「顔」といったお客人が多く、父にとってはそれらの人々の素顔を垣間見ることが、何よりもの社会勉強になったようです。
藤山雷太氏は何人もの芸者さんに抱えられるように来ていて、その血を受け継いだ愛一郎氏は後に井戸塀議員と呼ばれるに到ったとのこと。ちなみに井戸塀議員は政治だけでなく全てにお大尽で、最後は井戸と塀だけしか残らない議員のことを言うのだそうです。
また当時、チップは店の大将に渡す人がほとんどで、「皆で分けてくれ」と言われても小僧の司郎にまで回ってくることはなかったののに、鳩山一郎氏だけは、チップをシャンプー台のそばにそっと置いてくれたのだそうです。当時の50銭玉がどれだけの価値かはわかりませんが、小僧にとっては大金だったでしょう。人の心のわかる政治家こそ本当の政治家、そのことも「荘司」で学んだのです。

司郎はその後、内幸町の大阪ビルや、日本橋の三越、金沢の三越、富山の大丸で理容の腕をふるい開業に到ったのです。金沢の三越では、講演にきていた文豪・菊池寛氏が、店長を呼び出し「床屋の坊やに会わせろ」。慌てた店長が店に走ってきて「床屋の坊やは誰のことだ?」と聞き司郎と判明したことから、あとでヒーローになったという楽しい思い出も聞かせてくれました。菊池寛氏はヘビースモーカーで、調髪の最中もタバコが途切れることなく、司郎は灰皿係としてずっとお傍にいたのです。その働き振りを覚えていてくれた文豪は、金沢で大ご馳走をしてくださったそうで、これも司郎の自慢の一つでした。
富山の大丸で、母・喜代と出会い結婚。喜代は四谷の「マリールイーズ」という美容学校で美容の最先端を学び、富山に派遣されてきており、同じ東京モノとうあたりで意気投合したらしいのです。が、家族にはそのあたりのなれ染めはわかりません。二人で富山でスキーをしている写真があり、これがなかなかお洒落です。司郎はニヒルに笑い、喜代はサングラスまでかけていて、とても今から70年前の写真とは思えません。モボ、とか モガ、とか、そんな感じです。

善福寺で開業以来お客様は増え続け、中西悟堂氏もその中の一人でした。僧侶の家に生まれたものの、歌人として生きていた氏は千歳烏山での木食生活に終止符をうち、強く心惹かれた善福寺池の辺に居を構え、そんな中で店に通うようになったのでしょう。
司郎いわく「……本当に変わった人だった」。頭を刈りに来るときに、自慢そうに肩に小鳥を何羽も乗せてくる、父が銀座の夜店で買ってきたマリモに興味をもち、すぐ銀座まで買いに行って「二つに切ってみたら中までは青くなかった」と言ってみたり、半分裸のような半端な格好で歩いていたり…といわゆる奇人と呼ばれる人だったのですね。地元の地主さんたちには、害のない人で面白がられたようですが、インテリ層にはあまり芳しい評判は聞かれなかったとのこと。ただ氏の野鳥へ対する造詣は深く、善福寺池周辺で観察された野鳥の記録は、いまでも貴重なデーターとなっています。
「栗の花 鏡に映る 理髪床 夕づく遅し カワラヒワの声」
この短歌は、店の椅子に座っているときに浮かんだもの。確かに大昔には栗の木がお向かいにあったのだそうです。

父は、出征したものの、理髪の腕を買われて、上官の調髪をしていたため、南洋上で命を落さずにすんだ経緯もあり、また何人もの人を使うほど商売も軌道にのったことで、高司に「理容師の道を進むしかない」というような呪縛をかけてしまったのです。「職人の倅に学問はいらない」というところを、お口添えをしてくださる先生や、お客様に助けられ、高校、大学と進学はしましたが、いずれもギリギリのGOサイン、しかも店を手伝っていながらの受験。受験勉強も皆無。高司本人としては不本意な思いも強かったでしょう。早稲田と明治に合格したときも司郎は「入学金が安い」という理由で早稲田進学を了承したというあたり、いまどきの受験一色の親に聞かせたくなります。

アオバズクが店の前で鳴いたり、ジョウビタキが店に飛び込んできたり、ガマガエルが店の池にタマゴを産みにきたり…。生き物好きの司郎がこの地に立ったとき「こんな自然がいっぱいあるところなら客は一人も来なくていいや」と言って、喜代を激怒させたのですが、彼の思惑通り、生き物に囲まれた楽しい日々は、住宅が増えるとともに少しずつ変わっていきました。善福寺池にホタルがいなくなり、地元の人たちの熱い思いを背に、亡くなるまでの15年はホタルの再生に命を捧げ、その活動はテレビ・新聞だけではなく道徳の教科書に載るほどでした。

高司の代になり、店はだんだんと暇になってきました。お店とともにお客様も年を召されるので、これはしょうがありません。しかも「長髪=だらしいない」から「長髪=おしゃれ」と世間の感覚が変わり、さらに「男も美容院」の時代を迎えるに到って、商売は難しくなってきます。土地柄もあり、穏やかな紳士がお客様のほとんどで、お話しするだけで高司は学ぶことが多かったのですが「杉並で今、一番危ない商売は床屋とタバコ屋」とまで言われるようになり、その両方をやっている我が家は、もう笑うしかない状態。また数えで100歳になる喜代の介護も重なり、ここ数年はかなりヘビーでぐたぐたな事になってきていました。司郎の死後、喜代の一人で暮したいという意志を尊重してすぐ近くに部屋を借りてはいたものの、とても一人にはしておけない状態で、ここ数年は家族団らんともかけはなれた生活でした。
痴呆の入ってきた喜代がやっと板橋のグループホームのお世話になることができ、店を専門家に見てもらったところ大正13年の建物は耐震強度ゼロとまで言われたことで、何かある前にと高司は店の幕引きを決めたのです。

確かに高司は2007年問題の先頭を切っている年代なのですが、定年のない職業なのに、まさか世間並みに60歳を定年に定めるとは思っていなかったので、私はけっこう埴輪モード、ある意味途方にくれています。毎朝の喜代・高司のお弁当作りからは開放されたものの、振り向くといつも「ぽち」のように夫がいるようになるとは3ヶ月前には想像もしていなかったので、ちょっと呆然。
でもそのあたりをまだ深く話す時間がないのです。

店を閉め、建物を処分することに決めてから今日まで、ともかく二人の毎日は、ただひたすらゴミ捨て一色。建ぺい率ができる前の家のことなのでかなり広く、押入れも天袋の高さが90センチもある大きなもの。畳3畳分の大きさで深さも90センチある押入れが5個はあるのです。中身はなかなか圧巻でした。
喜代は明治のオンナなので、ともかくモノを捨てられない。山のような布団もシーツもタオルも端布も、姉の50年前のミニスカートも全部とってありました。そのどれもがシミだらけでとても再利用できる代物ではありませんでした。結果、富士の樹海さながらのゴミの山の中で、夫婦二人で途方にくれることになり、東京都指定のゴミ袋を300枚以上使用、2トントラックでも引き取りにきてもらい、粗大ごみ回収も最大限に利用、それでも引き渡し時の残存物は4tトラック一台という、すごくとんでもないことになりました。
マータイさんが提唱する「もったいない」はこんなことじゃぁないだろう!!と怒りながら、来る日も来る日もゴミ出し。喘息が持病の私には苦行難行でありました。
「もったいない」はただ取っておく事ではないのですよね。もったいない、だから、捨てないで活かす。もったいない、だから自分以外の人に使ってもらう…のじゃないかしら?

店を壊すというと、皆さん口をそろえて「もったいない…」とおっしゃいます。でも耐震強度ゼロに加えてシロアリも巣食っていて、さすがにもうこれ以上住める環境にないので仕方がありません。これは「もったいない」ではなく「寿命」だと思います。
ただこの店の映像や写真はとても多く残っています。外環道が通るという話もあって、昭和31年3月の改装以来、いっさい手を入れていなかったため、レトロな床屋ということで「菊次郎とサキ」や「プロジェクトX」のCF、様々な番組の回想シーンなどでいろいろと使われれてきました。「東京人」「散歩の達人」でも特集が組まれたこともあります。鳥の仕事関係でも店での映像や写真が多く残っているのは、幸せなことだと思っています。

さて、鬼のようにゴミを捨てまくり、店も畳んでしまう、一見クールを装う私たちでも、「もったいない」はあります。
店の歴史を刻んだ、床屋の椅子やサインポールはご近所の井草八幡宮の郷土資料館に飾っていただくことになりました。古い道具や値段表なども置いていただけそうです。また司郎の軍服一式も日章旗とともに寄贈。
床屋の道具の一部は箱につめて高司の宝物にしました。お客様からいただいた世界各国の野鳥の置物は、大小すべて大事にくるんで今は冬眠中。そして店にあった大きな鏡は私たちの家に飾ることに。
ただ、もう一つ、重くてどうしようもないものがありました。喜代のしまってあったモノと双璧をなしていた、それは高司の蔵書です!みかん箱大の箱で換算しても50箱以上は軽くありました。
これは仕事上必要なものを約半分だけ残して、荷物の移動に多大なご足労をおかけした西村眞一さんに古めのものを貰って頂き、残りは、友人の斉藤祐子さんご夫妻が軽井沢・信濃追分宿に昨秋開店した「追分コロニー」に引き取っていただきました。
あとは思い出すのも、ホントにげんなりなので省略しますが、我が家の「もったいない」レベルは確実に上がっていると思います。

立って半畳寝て一畳…という生活を送っていた頃には考えられないほど、ものは豊かになっているのですね。だから身の程以上のものを抱えちゃうのかも。そういう私もコレクションのケリーちゃん人形70体は捨てられずじまい。老後の楽しみのジグゾーパズルもトランクルーム行きでした。こんなことで時間を消費する「もったいなさ」を息子達には味合わせたくないなぁ。シンプルに生きて行きたいものですね。

好きな仕事だった床屋からきっぱり卒業した高司。これからはもっと好きな鳥の絵の世界でどう生きて、どう結果を残していくのでしょうか?


             ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

床屋さんの組合のHPに谷口調髪所が紹介されています。
撮影者は野口博さんとおっしゃるプロの写真家で、多くの文化人や芸能人のポートレートを撮っておられます。劇団ひとりさんのベストセラー「陰日向に咲く」の表紙も彼の作品です。→no.5
http://www.tokyo-riyo.or.jp/barbers.html

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~「着物でハーネス」バックナンバー~
第1羽 「図鑑と私の切ない関係」
第2羽 「きっかけは“ぬくもり”」
第3羽 「雨は好きですか?」
第4羽 「『鳥のぬりえ』夏場所」

第5羽 「旅でであった鳥」
第6羽 「か行の話で、ごめんなさって・・」
第7羽 「善福寺池男2人の物語」
第8羽 「着物でハーネスに至ったわけ」
第9羽 「モノクロ写真に鮮やかな色彩が蘇るとき」
第10羽「カモメとイワシと私のあやしい関係」
第11羽「冬はやっぱりラ~メンでしょ!」
第12羽「鳥の絵を描く『谷口高司と野鳥を楽しむ会』」
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