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「野鳥あれこれ」第8話 (アビとの出会い 日本のアビ漁) 百瀬淳子
私はずいぶん長いことアビ類に関わり合っていますが、その原点はある年、フィンランド航空から贈られてきたカレンダーの一枚の写真にあります。
そこにはビロードのように滑らかなグレーの顔に真紅の眼、長い前頚に縦長の赤い喉班、後頭部から首筋に流れる白黒の細い縦縞、そして白銀色に光る腹部をひっそりと水に浮かせた鳥の姿があったのです。一目で魅せられてしまいました。でも、まだ鳥についての知識がほとんど無かった当時の私はこの美しい水鳥の名前も知らず、憧憬はよけいに深まりました。やがて「アビ」という名前が分かり、ぜひ見たいという気持ちは高まりました。
しばらくしてフィンランドに一年ほど住むことになった時、地元のバードウォッチャーに頼んでようやく念願を果たしました。あのカレンダーにあった姿を実際に目にしたときは、ぼーっと夢のような気分になったほどです。白い野の花が咲き乱れる森の奥深い湖で、両親が一羽の幼いヒナを育てていました。果てしない森の中の深閑とした空気、そこに包まれた親子に透明な光が降りそそいでいた湖の光景を、今でも思い出します。
今、フィンランドではアビに出会うことはそう簡単ではありません。かつては多くのアビがいて、「アビ湖」「アビ沼」「アビ池」の地名があちこちにあったのが、今は地図上だけのことになってしまいました。酸性雨による被害で森林は水を溜める機能を失い、水際に作られるアビ類の巣を流出させてしまうのです。また流し網などによる被害、森深くまで進出してくる人間生活に繁殖場所が奪われてしまうためもあります。
現代では数を減らしていく鳥は多いでしょう。アビ類も例外でなく、とくに水上生活をするゆえ、近代化の弊害をもろに受けています。この後、日本で出会ったアビたち、外国のアビたちの、さまざまな地でさまざまな状況を目にしました。それは現代を語るにふさわしいものでした。これから書く予定のこの欄の中で出てくるものです。
ではまず日本のアビ類について書きましょう。初冬、アビ、オオハム、シロエリオオハムは北極圏域から日本列島の沿岸、瀬戸内海に越冬のため飛来します。そして翌年の4月末から5月初めにかけて去って行きます。そしてその間、3月頃換羽をします。ふつう換羽は繁殖後に行なわれるものですが、オオハム類は変わっていて繁殖前に済ませてしまうのです。ただしアビだけは繁殖後です。
古文書によると、かつて瀬戸内海には万を数えるほどアビ類がやってきたそうです。餌が豊富にあり、また換羽に適した場所であったのです。そこの漁師は彼らと共に漁をすることを発見し、それは遠く寛永、元禄の頃から続く伝統漁法となり、近年ではアビ漁と呼ばれました。
アビ漁は広島県、愛媛県、山口県と瀬戸内の広い範囲で行なわれていました。1964年、広島県はアビ、オオハム、シロエリオオハムの3種を一括して「県鳥あび」として県の鳥に指定しました。私はこれらを「アビ鳥(どり)」の名で、文章の中で書くことにしています。漁師さんが使っていた呼び名の一つです。
アビ漁とはアビ鳥が小魚を追うかたわらで、漁民がタイを釣る漁を言います。アビ漁というものの、鳥は主としてシロエリオオハムで、中に少数のオオハムがおりアビはいません。名前のつけかたがいささか違ったようです。
この漁の仕方は独特です。ちょうど鳥が飛来する時にあわせるように、瀬戸内海では小魚イカナゴが孵化します。大きな塊りになって海面に浮くイカナゴを、アビ鳥が群れで取り囲み捕食する。恐怖のイカナゴは海底へと逃げますが、そこには水温の低い真冬はじっと動かずにいるタイがいます。そのタイが、上から下りてくる餌のイカナゴにつられて上がって行く。それを漁師は待ち構えているのです。数十隻の漁船が鳥の群れの周りを取り囲んで直径50メートルにもなる大円を描き、ぐるぐる漕ぎ回りながらタイを一本釣りで釣り上げるというひじょうに珍しい漁法です。真冬、他の場所では釣れないタイが、瀬戸内海ではアビ鳥がイカナゴを追ってくれるゆえに釣れる。瀬戸内海はタイの宝庫でした。漁師はこの2ヶ月の漁で、一年の生計がたてられたというほどの恵みが与えられたのです。
漁師とアビ鳥の間には深い愛情と信頼関係が存在していました。お互いがお互いを必要とし、長い年月を共に生きてきた歴史があったのです。それは次のようなものです。
一月、漁師が待っていたアビ鳥がやってきます。でもすぐには漁をしません。静かに舟を漕いで行き、餌のイカナゴをまいて鳥が漁師を怖れぬように馴らします。鳥を慈しみ、鳥を脅かす外界のさまざまな障害、群れを蹴散らす高速船やハンターなどから鳥を守ってひと月もの間収入にならぬ日々を過ごし、時を待つのです。
二月になりました。待ちに待ったアビ漁が始まる時期になりました。「アビ鳥はわしらの顔を覚えとる」と漁師はアビ鳥を脅かさぬよういつも同じ服装で舟に乗り、大きな帆も立てず、大声で話すこともせずに漁をします。警戒心の強いアビ鳥が、漁船の船べり近くに浮き上がり安心してイカナゴを追うのです。
生計をたててくれる生きものに敬愛の念が生じるのは、昔人においてはなおさらのこと。アビ鳥は漁民にとって神の使い、いや神とまで信仰されたのでした。
最後までアビ漁が行なわれた広島県豊島では、アビ鳥が多く集まり多くの漁獲を得る海面にある岩の上、あるいは小島、海岸など7ヶ所に小さなお社が建てられていました。そこで漁師は神主とともに祭りを行い、鳥が多くの魚を与えてくれるよう豊漁祈願をしたのです。
祭りは、アビ鳥が姿を見せると行なう迎えの祭り、漁の最盛期の一日の感謝の漁祭り、また北への帰り支度のアビには「来年も元気で帰って来いよ」と見送る祭りがあります。漁師は言います。「アビ鳥が人間を好きなんか、人間がアビ鳥を好きなんか、分からんのう」と。鳥と人間が見事に融合した姿。この姿こそアビ漁の世界なのです。
このように長年漁民とアビ鳥は共に生きてきました。しかし年々飛来する鳥の数は少なくなっていきます。アビ漁も1980年代半ばに途絶えました。それにたいする人々の思いや対応を次号で書きます。 (2006.9.27)
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